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農業の再評価と再定義
【太陽と野菜の直売所】(東浪見岡本農園)では、「農業とは?」果たして、みなさまに食料としての野菜や果実を栽培して売る、またはそれら収穫物を加工食品として販売するというだけの職業なのかと、いつも疑問に感じています。
「農業従事者」は、農業者でない国民のみなさまに対し、特段に食料としての野菜、果実を供給しているというような、日常的な社会的役割や義務感を持っている人々は非常に少なく、ただ惰性で「そこに田畑があるから」という安易な理由だけで、農協が決めた手数料を引かれて収穫野菜を出荷して、「ギリギリの収入でなんとか生活している」というのが現実なのです。
いつから、そんな惰性的な農業となってしまったのか、なぜそんな低収入の農業を続けて、何ら楽しみがあるようでもなく、そんな近隣農業者からの「愚痴ばかり聞く立場の当農園代表者であるわたくし(岡本)」は、実は今でも全く理解ができません。
戦後の「農業」の社会的な地位について
当地一宮町は、東京駅から特急で「たった1時間」という地の利にあり、千葉市内へも快速で40分足らずの距離ですので、農家を継いで代々の田畑を耕すことよりも、多くの収入を得ることのできる会社に就職をして、サラリーマンになることも当然に可能だったのです。
かつて、わが国に身分制度があった時代は「士農工商」と、上から2番目の地位にいて、お百姓さんは、この国における「食料生産供給のカナメ的」な職業であり、農家はそれぞれの創意工夫をもって農機具の開発や栽培、施肥技術の向上を積極的に行い、さらに農業生産コストの削減をも担うような、国民にとっては大事な大事な職業であったはずです。
しかしながら、この国の第二次世界大戦後の経済復興から、わが国の食糧事情は変化を続け、それから80年近く経過した昨今では、食の変化とともに米の消費も落ち込んで、令和元年の現在のわが国の食料自給率は「わずか38%」(カロリーベース計算)でしかありません。
そして、当地(一宮町)における農業の社会的地位は、古くから住む地域住民が「下に見る」素振りはありませんが、内心では「まだ農業続けているの?」といった心情が伝わってくるようであり、わたくしはこの状況に「これから農業の大きな見直し(再評価と再定義)が入るのに」と、心ひそかに「農業の新時代」を予感しています。
なぜ農業を今も続けるのか?に対して
自身で思うような農業技術、栽培技術に基づいた、誰もがおいしい、安全であると感じながら、継続的に買っていただきたいと思って作っているものであり、本当のことを言えば「自身の作った野菜たちを『おいしいね!』と言ってくれる方々だけに」食べていただきたいと思っているのです。
しかしながら、このたびのロシア軍によるウクライナ侵略戦争の勃発により、日本政府は「減反政策の廃止」にまで言及するようになり、有事の際の食糧確保は、わが国の食料安全保障という観点からも最重要であると認識されるようになりました。
東浪見岡本農園では、「なぜ農業を今も続けるのか?」というような消極的な農業継続の意味を探すのではなく、日本政府は「我慢し続けた既存農家」に対して、もっと積極的かつ目的性を明確にした農業振興支援を「すぐに開始する」という必要性を強く感じています。
本当に今の野菜価格は適正と言えるのか?
テレビ報道等では、消費税増税や為替相場の変化によって、国内で生産された野菜価格だけでなく、輸入野菜の価格上昇について「価格上昇に対する消費者の嘆き」だけを映像化しているように見えますが、果たしてそんな映像を見て、生産農家は何を思い、どんな不満を抱いているかご存じでしょうか?
わたくし自身、日々の農作業に携わり、常日頃感じ、また憤っているのは「安価に過ぎる野菜価格」です。また、なぜ既存農家の人々は、この安価に過ぎる野菜価格に対して、もっと大きな声を上げないのか不思議でなりません。
スーパーで「1本30円」で売られているキュウリは、農協に出荷される際の流通価格ベースで考えると、概ね「半額以下(15円以下)」に過ぎません。
このページを読んでいただいている方は、スーパーの店頭に並ぶ前の流通経路くらいは、概ね理解されているはずですが、地域農協が「30%手数料」を取り、さらに野菜市場までの輸送料が加わり、その市場では仲介手数料が発生しますから、2倍の店頭販売価格ということになる訳です。
では、この「キュウリ1本=30円」は、誰が決めているのでしょうか?
「俺(わたし)は、30円は安すぎると思っているよ!」という方が、実は正しくアンケートを取ると過半数を超える数字になるのですが、ここに野菜流通のカラクリがあり、低廉な野菜価格を操作しているのは、消費者みなさまの「深層心理」であり、うまいことその心理を利用した地域農協の「仕業」(悪意とも言えるほどの)なのです。
「本音と建前」と言えばわかりやすいのですが、誰もが安価に生活必需品を買いたいという思いを持っていることとは別に、「誰もが正義ある価格で農産物を買ってあげたい」という矛盾した心理の衝突があり、結果として本音は外には出ずに、建前だけが独り歩きしてしまい、そんな「低廉価格」が実現してしまうという、ある種の経済的矛盾でありジレンマが裏側にあるのです。
農業の再評価と再定義について
そんなある意味、相続する田畑があるからこその、惰性的に継続されてきた職業である「農業」ですが、時代の変遷とともに「農業に対する再評価」の高まりが、昨今の資源高やウクライナ侵略戦争を要因として「食糧危機」という文字が踊りつつ、世界中の人々が危機感をもって考え、農業を再評価するような環境が整いつつあります。
これまで当然にわが口に入るはずだった「食料」としての野菜が、「安い高い」に関係なく手に入らないような状況に陥る可能性を、現実味のある問題として世界中の人々が認識をし、前述したような「本音の適正価格」を維持してあげなければ、わが国の農業については「お先真っ暗」であり、これからも農業を継続できない農家は増え続けることになるでしょう。
しかるに、「農業の再定義」とは、今の農家が専業農家として、経済的に食べていけるだけの所得向上が必要であり、みなさまが「本音としての野菜価格の上昇を許容する」ための意識改革が先決であり、そんな環境が整えば「大事な食料を生産してくれる農家を支える」という再定義に対する意識も生まれてくると考えています。
現在すでに60代以上の方々は、子どものころ「お百姓さんが苦労して作ったお米を一粒たりとも残さず食べなさい!」という、農業を営む人々への敬意をもって、親から叱咤叱責を受けた経験のある方々ならわかるとおり、実は世界中の人々が「農業者へ敬意を示す時代」に突入しているということでもあります。
「飽食の時代」など、とうの昔に終わっているのです。
どうか、これからも増え続けると言われている「耕作放棄地」「遊休農地」を増やさないためにも、わが国が有事の際であっても、国内で生産された野菜やお米だけで、国民全員が食べていけるだけの食料確保のためにも、みなさまの意識改革を当農園では促していきたいと思っています。
ちなみに、たった1年の耕作放棄農地であっても、農地として復活させるためには、相当の期間を必要とし、すぐに野菜栽培を開始することはできないのです。
【太陽と野菜の直売所】(東浪見岡本農園)管理人:岡本 洋
令和4年6月12日